郷土史(人物編) - 黒沢翁満
【写真は翁満の直筆(市博物館所蔵)】

 

桑名史上の人たち(3) -黒沢翁満(くろさわ おきなまろ)-


 黒沢翁満は桑名藩主松平(奥平)家に仕えた武士です。寛政7年(1795年)に桑名内堀で生まれました。文政6年(1823年)には松平家が桑名藩から忍(おし)藩(現在の行田市)へ移ったので、彼も忍へ移りました。桑名では107畳もある家に住んでいましたが、忍では38畳しかなく、大変不便をしました。嘉永7年(1854年)ごろの記録では「二百五十石、御勝手老中 奥向掛(おくむきかかり)」を務めており、主として藩主奥方関係の物品の仕入れを担当していました。晩年には大阪堂島にある忍藩蔵屋敷の責任者となり、安政6年(1859年)大阪で亡くなり、墓も大阪の珊瑚(さんご)寺にあります。
 
 彼の父は和歌・狂歌にすぐれ、博学の人で、桑名今中町の専正寺にある蛤墳(こうふん)の碑文を書いています。翁満は幼少のころから父の感化をうけ、10歳ごろには戯作を試みましたが、のちに国学の道に進みました。藩務のかたわらに、賀茂真淵の学風を独学で学び、古学を究めました。和歌研究、歌集、国語学、国文学、随筆、紀行文、地誌、童話長歌など広い分野の著作があり、40点近くが知られています。とくに和歌研究家、歌人としてすぐれていました。彼は自分の住んでいた家を葎居(むぐらい)と称しており、歌集として「葎居集」「葎居後集」があります。和歌研究では「万葉集大全」「古今集大全」「源氏百人一首」「難波職人歌合」などがあります。
 
 また随筆家としてもすぐれており、「随意稿」「酒席酔話」「小春秋(吾妻下り)」などがあります。「随意稿」は古今東西の事に対しての彼の学識の深さをしのばせていますが、中には米の値段の対策を述べているものもあり、藩の仕入掛の立場らしい発言です。「酒席酔話」は文字通りに酒を飲んで酔いにまかせた、きわめてざっくばらんな放言です。平易な文章でつづられていますが、その中に彼の思想が秘められており、するどい風刺、批判が感じられます。
 
 最晩年の著作である「藐姑射秘言(はこやのひめごと)」は、最高に円熟に達した文章で書かれています。平安時代の文章をまねた擬古文といわれ、非常に流麗な文章です。この作品は江戸時代三大奇書の一つといわれるように、内容は人間の性本能をきわどく描写しています。しかし、文章自体が美しくて、卑猥(わい)さを感じさせない名作です。
 
 地誌としては「北勢古志」があり、当時の桑名藩領内の地理歴史を書いています。彼の歌碑は四日市市垂坂町の観音寺と垂坂立坂神社に残っています。垂坂は当時、桑名藩領内でした。また行田市の旧宅跡にも昭和33年(1958年)に建てられています。
 
(元桑名市文化財保護審議会委員・西羽 晃)