郷土史(人物編) - 竹内十次郎
【写真は竹内十次郎 『波に夕陽の影もなく』から転載】
 

桑名史上の人たち(19) -竹内十次郎(たけのうち じゅうじろう)-


 竹内十次郎は明治2年(1869年)11月28日、東方村で父・桑名藩士竹内平次郎と母・勢起(せき)の間に次男として生まれました。父の平次郎は桑名藩の飛び地である越後柏崎に勤務していましたが、明治維新後に桑名に帰ってきました。東方村尾野山に新しい藩士屋敷が12棟つくられ、平次郎はそこに住んでいたようです。
 
 十次郎の幼年時代については不詳ですが、明治21年に海軍主計学校に入学し、24年に首席で卒業しました。そして海軍省に入り、明治31年に造船造兵監督会計官としてロンドンの日本大使館に赴任しました。当時は日露戦争の開戦直前であり、日本はイギリスから軍艦を買い入れていて、彼はその支払いを担当しました。ところが、明治37年11月17日、突如として行方不明となりました。イギリス人の妻サラとともにどこかに逃げたのです。
 
 会計帳簿を調べると、軍艦買い付け資金が約33万円不足していました。十次郎は公金横領の罪で翌年免職となり、本人不在のまま軍法会議で重懲役11年の刑を受けました。
 
 ここで話は少し変わりますが、この事件に興味を持った小説家・佐木隆三さんが、事件の真相と桑名のことを知りたいからと、私(筆者)の家まで訪ねてこられたことがありました。私はそのとき竹内十次郎について全く知らなかったので、いくつかの質問に対してすべて「わかりません」と返答しました。すると佐木さんは「わからないということが、わかればよろしい。わからない点は作者の創作で書きますから」とのことでした。その作品は『中央公論』昭和55年(1970年)8月増刊号で発表され、同年の11月に『波に夕陽の影もなく-海軍少佐竹内十次郎の生涯』として中央公論社から単行本が出版されました。
 
 その本によると、公金は十次郎が横領したのではなく、ひそかに日本の海軍省の上司のもとに送られ、どうやら政治家に渡されていたようです。それが発覚しそうになり、その上司が変死したので、十次郎も行方をくらましたようです。彼自身は上司の命令に従っただけのようで、公金を横領したのではなく、政治家の黒い影にあやつられたのだと思われます。
 
 その後、十次郎はカナダに移り、J・テニングと名乗って農園を経営しました。最初の妻は亡くなりましたが、2人の間には子どもはなかったようです。その後、イギリス人のアーネと再婚しています。そして彼女との間に2人の息子と5人の娘をもうけ、晩年にはカナダに来た日本人の世話をよくしています。
 
 十次郎は昭和12年5月15日、カナダのバンクーバーで死去しました。享年69歳でした。遺骨の一部は日本に送られて、桑名法盛寺にある竹内家の墓に納められました。
 
(元桑名市文化財保護審議会委員・西羽 晃)