桑名市になった町村  -桑名町-

 明治22年(1889年)4月に市町村制が実施され、江戸時代に武士が住んでいた地区と商工業者が住んでいた地区を合わせて桑名町となりました。町内には以下の大字が設けられました。三之丸、吉之丸、内堀、元赤須賀、伊賀町、外堀、八幡町、柳原、新屋敷、一色町、矢田磧、新地、船馬町、本町、舟町、小網町、宝殿町、清水町、宮町、風呂町、川口町、江戸町、片町、京町、宮通、職人町、油町、田町、北魚町、三崎通、南魚町、殿町、吉津屋町、鍛冶町、紺屋町、入江町、葭町、新町、萱町、伝馬町、鍋屋町、矢田町、福江町、太一丸、今一色大北町、今一色北町、今一色中町、今一色片町、今一色寺町、堤原、住吉町、相生町などです。初代町長は町田武須計(ぶすけ)でした。
 
 同年末の人口は17,890人でした。当時の県下では字治山田町の27,075人、津市の23,396人に次いで3番目の多さでした。ちなみに四日市町は四番目で17,352人でした。
 
 町内には第一尋常小学校(現在の日進小学校)、第二尋常小学校(現在の精義小学校)と桑名郡立高等小学校(のち第三尋常高等小学校、現在の立教小学校)がありました。また桑名郡役所、警察署、税務署、郵便局、電信局など主要な官公庁がありました。さらに七宝座(鍛冶町)、中橋座(三之丸)、郭座(本町)といった常設芝居小屋もありました。中でも中橋座は定員1,400人ほどの大きな劇場でした。開業は明治15年12月5日で、初代中村鴈治郎(がんじろう)が出演しています。
 
 桑名町はもともと城下町であるとともに、東海道の宿場町であり、港町であり、商業都市でしたが、明治27年に鉄道の桑名駅が町外に設けられ、東海道を通る人が少なくなりました。しかし近代工業の桑名紡績(現在の市営プール付近)ができ、工業都市となりました。大正9年(1925年)の第1回国勢調査では、桑名町の職業人口は9,360人、工業人口は4,374人で約半分近くであり、ついで商業人口が2,797人でした。
 
 しかし、町域面積は狭く、大きな施設は町内に敷地がなく、町外に移転されました。米穀取引所(現在の新築公園)、桑名郡役所(現在の総合福祉会館)、第二尋常小学校(現在の精義小学校)、桑名中学校(現在の桑名高校)、桑名警察署(現在の市営末広駐車場)、桑名郵便局(現在の寿町、国道1号の角)などです。
 
 このような状況では桑名地方の中心的な都市としての発展が望めないので、近隣の大山田村、赤須賀村、益生村、城南村を合併して桑名市にしようとの動きが大正10年ころから始まり、大正12年に赤須賀村を合併しました。その後の合併問題は難航し、やっと昭和8年(1933年)に益生村、昭和12年に西桑名町(元大山田村)を合併しました。
 
(元桑名市文化財保護審議会委員・西羽 晃)