郷土史(町村編) - 大山田団地
【写真は大山田第三公園に残る手水溜池】

桑名市になった町村  -大山田団地-

 昭和三十一年(1956年)に城南村と合併して以来、桑名市は他の町村とは合併していません。市内では、昭和三十一年から始まった西方地区に続いて、新しい住宅開発が行われました。昭和三十四年の伊勢湾台風で大きな被害を受けたこともあり、さらに西の丘陵地帯で住宅地が開発されました。有吉台、きぼうが丘が昭和三十年代の終わりごろから開発されました。ついで蓮花寺、大山田、高塚町、正和台、藤が丘、新西方、赤尾台、星見ヶ丘などの大きな住宅団地が開発されました。これらの土地には古代からの遺跡も多くあったと思われますが、そのうち有吉台で額田廃寺跡、大山田で窯跡が発掘調査されました。
 
 最大の大山田団地の大部分は江戸時代に大山田新田と呼ばれていました。この開発年月は不明ですが一帯は灌木の茂る山であり、桑名藩の藩有林となっていました。その中に手水溜池(ちょうずためいけ)が作られて、西汰上の用水として使われました。この溜池は現在も大山田第三公園に残されています。
 
 明治時代になって、藩有林は国有林となりましたが、開発もされず林のまま残っていました。この国有林を中心として大規模な住宅開発が昭和三十年代に計画され、各地の山林と交換されて、国有林が払い下げられました。民有地も含めて、地籍上では大字播磨・蓮花寺・額田・嘉例川にまたがる百九十四ヘクタールが開発されました。昭和四十六年七月に計画案が決定され、翌年から造成工事が始まりました。計画では約五千五百八十戸、約二万二千八百人でした。
 
 第一次分譲申込み受付けは昭和五十一年十一月、入居開始は昭和五十四年三月でした。これに応じて同年四月には大山田東小学校が開校しました。さらに昭和五十七年四月には成徳中学校から分離して、陵成中学校が開校しました。国勢調査によると、昭和六十年と平成七年の十年間の人口比較は、表のように旧市域の人口は減っているのに対して、合併地域で増加、大山田地域では大きく増えています。
 
(元桑名市文化財保護審議会委員・西羽 晃)
 

※この文章は、1998年の「広報くわな」連載記事「郷土史を訪ねて」に掲載されたのものです。現在の桑名市は、平成16年12月に多度町、長島町と合併をしています。