郷土史研究の歴史(2) - 郷土史(郷土史研究の歴史)
【1800年ごろの桑名の町割が描かれている絵図 『東海道分間延絵図(東京美術刊行)』から転載】
 

郷土史研究の歴史(2)  -「平成の町割」に向け歴史から学ぶ-


 歴史の中でも、私が最も関心があるのは交通史です。中世末の桑名は、伊勢湾内の海上交通と鈴鹿越えの近江との陸上交通を結ぶ要所でした。慶長6年(1601年)に桑名は東海道の宿場町に指定されました。当時の東海道は日本最大の幹線道路であり、今日でいえば東海道新幹線と東名・名神高速道路にあたります。毎日おびただしい人たちが通り、休憩したり宿泊したりしました。桑名はとくに渡船場でしたから、時間の都合や天候の都合で泊まり客も多くて、旅籠屋の数は東海道筋では熱田宿についで2番目に多くありました。
 
 これらの旅人たちは桑名にお金を落としてくれるとともに、情報を落としてくれました。当時では、情報の伝達手段はほとんどが人から人への口コミです。全国からの旅人たちが交わす世間話で、桑名の人たちは日本全体はもちろんのこと、世界の動きを知ることができました。また旅人たちによって、焼蛤(はまぐり)や時雨蛤が宣伝されました。桑名盆は、桑名を通ったオランダ人によって海外にも輸出されました。
 
 桑名が東海道の宿場町となった慶長6年には、本多忠勝が桑名藩主となりました。彼は大胆なまちづくりを始め、すべての人を立ち退かせて、新しい道路を作りました。これを「慶長の町割」と言っています。そのときに作られた道路は今もほとんど残っており、「慶長の町割」は約400年後の現在も生きています。
 
 時代の変化は激しく、古いことなどは役に立たないのではないかとよく言われます。しかし、歴史研究は単なる懐古趣味や自己満足でないと私は思います。「歴史を学ぶ」のではなくて、「歴史から学ぶ」必要があります。そして歴史を新しいまちづくりに生かしたいと私は思っています。
 平成13年(2001年)は慶長6年から数えて400年にあたります。東海道筋であった都府県や市・町では、記念事業などが計画されています。桑名でも具体的な企画案について市役所や民間の組織で取り組みが始まっています。私も微力ながら努力したいと思っています。
 
 桑名では、東海道の宿場町指定と「慶長の町割」が行われてから400年になりますが、400年記念が単なるイベントだけで終わってしまっては意味がありません。「慶長の町割」も慶長6年だけで完成したわけではなく、それ以後も長年にわたってまちづくりが行われました。平成13年は「平成の町割」がスタートする年であると私は考えています。2001年はまさに21世紀の始まりの年です。歴史文化の伝統が息づいた21世紀のまちづくりが始まる年にしたいと念願しています。
 

                            (桑名市文化財保護審議会委員・西羽 晃)