郷土史研究の歴史(6) - 郷土史(郷土史研究の歴史)
【写真は平松屋が両替商を営んでいた南仲通の現在】

郷土史研究の歴史(6)  -平松屋寅吉(ひらまつや とらきち)について-


 現在、私がとくに調べているのは、幕末から明治維新にかけての桑名のことです。その中に平松屋(金子)寅吉という不思議な人物がいます。
 
 慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いに敗れた桑名藩主の松平定敬(さだあき)は、箱館(現在の函館)まで逃げていました。その定敬が箱館から脱出するときに大きく尽力したのが、横浜の商人である平松屋です。
 
 平松屋はまず、家老の酒井孫八郎が定敬に降伏するよう説得しに箱館へ行くための船を手配しました。一方の定敬は箱館での生活費に困っていて、金を持ってくるように密かに桑名へ連絡をとりました。そのことを知った平松屋は、金を持って箱館までやってきます。その後、定敬は船に乗って箱館から脱出しますが、このときも平松屋が箱館在住の外国人と交渉してアメリカ船に乗ることができるよう手配しました。この船に平松屋も同乗し、定敬とともに上海まで行っているようです。定敬は上海でしばらく滞在しましたが、いずれ上海から日本へ戻る船の手配も必要です。殿様の定敬ひとりでは何もできないでしょうから、平松屋も付いて行ったのでしょう。平松屋は横浜の商人ですから外国の事情にも通じており、英語も話せたと思います。
 
 その後も平松屋は、松平家に対して援助を続けています。定敬から松平家を引き継いだ松平定教(さだのり)は明治6年、横浜でアメリカ人ブラウンから英語を学んでいます。その経費を平松屋が毎月援助しています。定教は明治7年にアメリカへ留学しますが、これも平松屋が援助したと思われます。また定敬が明治5年11月にヨーロッパへ私費で渡航しているのも、平松屋が援助した可能性が考えられましょう。
 
 明治7年の茶売込商人に金子寅吉の名があります。また、明治14年12月の両替商の名簿には「南仲通二丁目四十五番地 平松屋金子寅吉」とあり、横浜の金融業の中心地である南仲通で両替商を営んでいました。彼は桑名藩の飛び地である越後の新道村(現在の柏崎市)の出身らしいのですが、国元の桑名の商人でなく、飛び地の商人が心血を注いで旧藩主を援助したのは、なぜなのでしょうか。まだまだ解明しなければならない点があります。
 
 私は『広報くわな』で「郷土史を訪ねて」を8年間も連載させていただきました。この原稿を書くことによって私自身も研究を深めることができ、感謝しています。今後も郷土史の研究は続けますが、今回で筆を置きたいと思います。長年のご愛読とお励ましに対してお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

(桑名市文化財保護審議会委員・西羽 晃)