九華公園 - 桑名城の沿革桑名城跡の本丸及び二之丸跡を利用した公園で、約7.20haの広さがある。
明治維新以後荒廃していたが、昭和3年(1928年)松平定信(楽翁)没後百年祭記念のために公園として整備された。園内では4月に桜、5月につつじ、6月には花菖蒲まつりが行われる。
園内には戊辰の役の犠牲者森陳明をたたえる「精忠苦節」碑(明治23年=1890年建)や水谷一楓の歌碑(昭和51年建)や土生暁帝の句碑(昭和59年建)、葛山たけしの句碑(昭和59年建)がある。

 

沿革


 

九華公園 - 桑名城の沿革永正10年(1513年)関東より伊藤武左衛門実房が来て、
この付近に城館を設けたのが最初である。

天正19年(1591年)に一柳右近が桑名を領し、築城をはじめ、
文録4年(1595年)に伊勢神戸城から天守閣を移築した。

その後氏家行広が城主となったが、慶長6年(1601年)に本多忠勝が城主となり10万石を領した。
忠勝は城下の町割(都市計画)をすると共に、城郭の拡張整備を行なった。本丸・新城(城主御殿)・二之丸・三之丸・内朝日丸などを堀にて区画した。

元和2年(1616年)に忠勝の孫である忠刻は徳川家康の孫娘である千姫と結婚し、千姫は桑名城内に住んだ。
しかし翌元和3年に本多家は姫路城に移封となり、松平(久松)定勝が11万石の桑名城主となり、吉之丸・外朝日丸などを拡張した。

その後寛永12年(1635年)に松平(久松)定綱が11万3千石の城主となり、宝永7年(1710年)には松平(奥平)忠雅が10万石の城主となった。

さらに文政6年(1823年)に松平(久松)定永が11万3千石の城主となって、幕末を迎えた。
慶応4年=明治元年(1868年)の戊辰の役で桑名藩は新政府軍に敗北した。
明治8年(1875年)に旧桑名城の土地建物は払い下げられた。
石垣の石は四日市港の築港のために使われた。
明治12年には城内の堀を利用して貯木所となった。
明治29年には旧城内の一部に桑名紡績が設立された。
本丸跡付近には昭和3年(1928年)に九華公園が設けられた。
昭和17年には城跡の一部が県指定史跡となった。

⇒桑名藩主一覧はこちら

九華公園 - 桑名城の沿革

現在の桑名城址九華公園と天保年間の実測図を参考に対比させた図面。
堀の位置などは当時とほとんど変っていないことがわかる。