常設スペースが新しくなりました。 平成28年11月19日更新!

 桑名市博物館2階展示室奥にある常設スペースをこの度リニューアルしました!

 連鶴コーナーでは従来の49種類の連鶴を折り直し、加えて『秘伝千羽鶴折形』の複製本を展示しています。さらには、寛政5年(1793)に義道が初めて考案した連鶴を復元し、新設しました。連鶴を以前よりも近くで見ることができますよ!

 また、戊辰戦争のコーナーでは戊辰戦争の年表や戦没者パネルを展示しています。ご来館の際には、企画展と合わせて常設スペースの方もご覧になってくださいね。

(11月5日~12月11日までは特別企画展「祭礼の美」開催中です。特別企画展期間中入館料:有料(高校生以上500円))

連鶴の集大成を発行 平成28年3月19日更新!

 「桑名の千羽鶴」として知られている連鶴の史料と、考案者魯縞庵義道に関する史料を『桑名叢書Ⅲ 連鶴史料集 魯縞庵義道と桑名の千羽鶴』と題して刊行します。

 『秘伝千羽鶴折形』の考案者として知られる魯縞庵義道ですが、その生没年すら詳らかではありませんでしたが、一昨年、義道の寺長圓寺から連鶴の史料や長圓寺の系譜が発見されました。非常に傷んでおりましたので、修復を行い、その成果を印影の形で刊行いたします。これ一冊で連鶴と魯縞庵義道についての全てが分かる史料集です。巻末には義道の略年譜や修復前、修復作業なども掲載しております。

 

書籍名 『桑名叢書Ⅲ 連鶴史料集 魯縞庵義道と桑名の千羽鶴』 

体裁    A4判 上表装 172ページ

主な内容  『素雲鶴』跋文・義道所持『秘伝千羽鶴折形』・『新撰素雲鶴』・

                  義道の著作物・義道と文人の交流・その他の義道史料・義道略年譜

編集    桑名市博物館

 

発行    岩崎書店 (東京都文京区水道1-9-2 電話 03-3812-9131)

頒布価格  1冊 3,000円+税

購入方法  4月10日頃から一般書店で販売

                 ※桑名市博物館では販売しませんので、書店で購入をお願いします。

                  書店店頭に無い場合は、注文で取り寄せとなります。

                  また、インターネット対応の書店でも購入できます。 

『素雲鶴』等復元作業状況(18) 保存 平成28年3月3日

修復された史料は、全て中性紙で作られた保存箱に入れて管理します。

『素雲鶴』等復元作業状況(17) 『素雲鶴』修復比較 平成27年11月17日

 

右側の写真は『素雲鶴』が綺麗に修復された状態です。

左側の修理前の状態のものと比べるとその差が分かります。

 

『素雲鶴』等復元作業状況(16) 『素雲鶴』の保存 平成27年11月1日

 『素雲鶴』は1枚の紙状態ですので、エンキャプシュレーションという方法で保存します。

エンキャプシュレーションというのは、ポリエステルフイルムで両面から挟んで封入する方法です。この方法は、そのまま閲覧や複写ができる利点があり、必要に応じてフイルムから取り出すことの出来ます。

 封入の方法は、以前は周囲をテープで留めるなどの方法が用いられていましたが、現在は超音波による方法が行われています。気密性が高まった事によって大気中の汚染から史料を守る一方、湿度や温度変化にも穏やかに対応する事ができます。

 写真は超音波による封入作業です。

『素雲鶴』等復元作業状況(15) 『新撰 素雲鶴』綴じ直し 平成27年10月18日

左側の写真が修理前の画像です。『新撰素雲鶴』は巻背綴じですので、そのまま本綴じを施し、元の巻背綴じに仕立てました。

『素雲鶴』等復元作業状況(14) 綴じ直し完成 平成27年10月11日

丁間から見つかった題箋も貼りました。処理前に比べると、シャキッとした状態になったことが分かります。

 

『素雲鶴』等復元作業状況(13) 『秘伝千羽鶴折形』綴じ直し 平成27年10月4日

『秘伝千羽鶴折形』は穴綴じですので、紙縒りで下綴じをし、新しい絹糸で綴じ直しをします。

『素雲鶴』等復元作業状況(12) 大きさが整えられた状態 平成27年9月27日

 

表紙に合わせて紙の大きさを整えます。

『素雲鶴』等復元作業状況(11) リーフキャスティングが終了した状態 平成27年9月19日

 

リーフキャスティングが終了した状態です。この後、表紙に合わせた大きさに整えられます。

『素雲鶴』等復元作業状況(10) リーフキャスティング 平成27年9月5日

 

「リーフキャスティング」とは、虫食いで空いた穴や欠損部分を埋めて補紙を形成する修復方法の一つで、ソビエトで1950年代に開発され、日本では1970年代から研究されてきました。現在紙資料修復の主流となっています。

リーフキャスティングは、水の中に紙の繊維(この資料の場合は楮)を分散させて、その繊維を資料の欠損部分に充填させるので、本紙の厚みが増加しないことや、水素結合によって接着させるので、接着剤を使用しないという長所があります。

今回は水頭圧式の機械が使用され、写真は支えネットの上に資料が置かれた状態です。

『素雲鶴』等復元作業状況(9) ウェットクリーニング 平成27年8月28日

 

「ウエットクリーニング」とは、和紙を洗浄する手法の一つで、水を使用して汚れを取り除く事を言います。水は不純物を含まない精製水を使用します。

この史料の紙質は酸性に傾いていたため、中和するための脱酸性処理をすると共に、皺を伸ばしていきます。写真は皺を伸ばしている所です。

『素雲鶴』等復元作業状況(8) 定着作業 平成27年8月26日

 

この史料の処理をする過程で滲みが生じる可能性のある朱は、顔料で定着作業を行います。

『素雲鶴』等復元作業状況(7) 修正断片の処理 平成27年8月15日

 

義道が修正した紙片は、一度剥がして処理を施し、また元の位置に戻します。

『素雲鶴』等復元作業状況(6) 修正断片 平成27年8月8日

    

新撰『素雲鶴』の別の箇所では、魯縞庵義道が修正した断片がありました。左側写真は作業前の状態で、右側の写真が 修正箇所の貼り紙を剥がした状態の写真です。

 

義道は、「壽」を「千切」に訂正し、「比翼」を「背合」と訂正しています。

訂正前は「一 壽」と「二 陰陽重」が同じ製図ですので、訂正した理由は理解できますが、「三 比翼」を「背合」に訂正した理由は今一つ判然としません。訂正した「背合」は「四 陰陽背合」と、上下は逆ですが、同じ製図となっています。

「陰陽」の文字は後で書き加えられたように見えますので、義道は同じ製図で全く異なった出来上がりのものを考えていたのかもしれません。

『素雲鶴』等復元作業状況(5) 紙の劣化 平成27年7月25日

これは新撰『素雲鶴』の裏表紙を写したもので、左側の写真が復元作業前の状態です。

右側が、解体して紙のしわをのばした状態の写真です。

 

解体したことによって、折れ込んで読み難かった文字がはっきりしました。

また、紙の繊維が劣化している部分や紙が破損している部分がありましたので、これは補修を計画しています。

『素雲鶴』等復元作業状況(4) カビの処理 平成27年7月16日

史料を解体してみると、『秘伝千羽鶴折形』の方には、こより綴じの内側に黒カビがありました。(左写真)

こちらは、ドライクリーニングして滅菌処理を行います。

 

また、水素イオン濃度の測定をしたところ、この史料は、酸性に傾いていることが分かりましたので、後に酸を洗浄する作業を行う予定です。

『素雲鶴』等復元作業状況(3) 解体した状態 平成27年7月10日

 

左写真は新撰『素雲鶴』の修理前の状態を写した写真です。

右写真が、こよりなどを全て外した状態です。

解体をすると、非常に脆くなっている状態であったことが確認できます。

 

『素雲鶴』等復元作業状況(2) 解体状況 平成27年6月29日

左写真は、新撰『素雲鶴』の作業場面です。

綴じていた紙こよりを外して、少しずつ解体していきます。

『素雲鶴』等復元作業状況(1) 修復前の状況 平成27年6月20日

東京にある紙資料修復工房に、『素雲鶴』の復元作業を依頼しています。作業中の画像が届きましたので、作業経過についてご報告します!

 

今回は3種類の史料の修復を始めます。修復の前には必ず現状の写真を撮ります。

修復する資料は左から『秘伝千羽鶴折形』、新撰『素雲鶴』、『素雲鶴』です。昭和34年の伊勢湾台風で海水に浸かり、そのまま放置された状態で置かれていましたので、状態は決して良い状態とは言えません。

魯縞庵義道の文学サロン(4) 平成27年6月7日

川尻村(現在の四日市市川尻町)は、幕府領と桑名藩領と長島藩領が入り交じる複雑な所でした。領地図を見ると

(左写真:『桑名領絵図』の部分)、名称に線引きがあったり、支配範囲を示す色塗りが変わったりしています。

 

寛政2年(1790)に謹慎の咎めを受けた大坂の商人木村蒹葭堂(けんかどう)は、寛政5年(1793)までこの村に滞在することになりました。蒹葭堂は商人でしたが、本草学に詳しく、また、書画骨董を多く蒐集し、全国の文化人と交流がありました。長島藩主増山雪斎(ましやませっさい)もその一人で、藩の飛領地であった川尻村に呼んだのは雪斎でした。

著名な蒹葭堂が川尻村に居ることを聞いた義道は、寛政2年11月からしばしば訪問しています。蒹葭堂の日記には「桑名長円寺始来見 長円寺露紅半楮二百枚持参」とあります。『素雲鶴』に記していた「露紅」と同じ名乗りですので、この頃義道は洒落て使っていたのかもしれません。

蒹葭堂と義道は気が合ったのか、蒹葭堂が大坂へ帰る挨拶のため長島の雪斎を訪れた時には長円寺へ宿泊しており、蒹葭堂が大坂へ帰った後も二人の交流は続いています。

魯縞庵義道の文学サロン(3) 平成27年5月29日

義道は桑名藩以外の著名な文化人とも交流しています。

 

十時梅厓(とどきばいがい)は、江戸時代中期の人で、絵画・書・和歌に堪能で、儒学者としても知られていました。特に儒学者としての名声があり、長島藩主増山雪斎(ましやませっさい)に招かれて藩校の学長となりました。

 

梅厓は天明4年(1784)から寛政12年(1800)まで長島藩に仕えていましたので、義道とも交流があり、互に訪問する間柄であったようで、義道の漢詩が残されています。

 

(左写真)『松響集』より

 

魯縞庵義道の文学サロン(2) 平成27年5月14日

広瀬蒙斎の跡を継いで立教館教授となった片山恒斎も義道と交流があり、漢詩に魯縞庵が登場します。

 

(左写真)『桑名前修遺書 恒斎先生遺書』より

 

魯縞庵義道の文学サロン(1) 平成27年5月5日

義道は連鶴を創作するだけでは無く、漢詩も多く作りました。このため、多くの文人たちと交流がありました。桑名藩校立教館教授広瀬蒙斎もその一人で、連鶴を見た驚きを、蒙斎は「紙鶴記」(左写真)に記しています。これによると、義道は連鶴を考案するのに18年という歳月を費やしています。

 また、蒙斎は義道の著書『桑府名勝志』に序文を寄せています。

 

連鶴の最初 平成27年4月24日

一羽の折鶴は、平安時代に貴族の間で折られていたという説がありますが、連鶴の最初は、今回発見された『素雲鶴』(長圓寺蔵)で明らかになりました。ここには

 

折鶴三十品 壱百壱羽

  美濃紙   三枚

  凾     尺長一枚

  寛政癸丑年春二月校定之

        勢北桑名海岸

        魯縞庵主露紅記之

          魯 縞 

                  」

とあり、義道によって寛政5年1793)に30種類の連鶴が完成していたことが確認できたことは、画期的です。

魯縞庵義道の人となり 平成27年4月21日

連鶴の考案者義道は、長圓寺に伝承する系譜によれば、宝暦12年(1762)6月に生まれています。得度して「一圓」(いちえん)を名乗り、長圓寺11世となりました。

号の「魯縞庵」は、長圓寺にあった中国清の人が書いた扁額から用いました。「魯縞」とは中国魯の国の産物であった薄い織物を指したようです。

義道は義に厚い人柄で、漢詩や俳句を嗜んでいます。また、非常に筆まめで、多くの著書があると同時に、長圓寺の由来や系譜を調査し書き残しています。

『素雲鶴』復元事業について 平成27年4月9日

桑名市無形文化財である「桑名の千羽鶴」の原典であるとされる『素雲鶴』の発見にともない、その修復と公開を行い、「連鶴発祥の地・桑名」として地域のブランド力を高めるとともに、世界的にも日本の素晴らしい文化である「折紙」を発信していく事業です。

 

 

『秘伝千羽鶴折形』とは

『秘伝千羽鶴折形』とは、遊びの折方として最古の書物です。内容は一枚の紙から連続した鶴を折る折方(連鶴)の展開図と完成姿図が描かれており、2羽から最高97羽をつなぐ49種類が紹介されています。

初版は寛政9年(1797)に京都の吉野屋から出版され、好評を博したためか寛政12年にも江戸・京都・大坂にて再版されています。この連鶴の考案者は伊勢国桑名の魯縞庵義道です。

魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)ってどんな人?

「桑名の千羽鶴」考案者

この千羽鶴の折方を考案したのは伊勢桑名の長圓寺の住職・義道一圓(ぎどういちえん)という人です(魯縞庵は号です。1762-1834)。義道は歴史的なことに造詣が深く、『桑府名勝志』『久波奈名所図会』など多くの著作を著し、文化人として知られています。そのうち『桑府名勝志』の著者目録に『素雲鶴』とあります。

 

素雲鶴(そうんかく)って何?

『桑府名勝志』の著者目録に、『素雲鶴』が記され「折形にしてさまざまに姿を顕しつる百品五百羽あり」と記されており、『秘伝千羽鶴折形』の原典として推定されていましたが、これまでその存在は失われたものと考えられていました。ところが義道が住職をつとめた長圓寺から、2014年秋に発見されたのです。しかし伊勢湾台風などで入水していることから修復が必要であることが判明しました。