更新日: 2022年2月1日

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【博物館】特別企画展「本多忠勝と桑名」のご案内

入館時のお願い

  • 過去2週間以内に発熱や感冒症状で受診や服薬等をした方、または感染拡大している地域や国への訪問歴がある方は入館をご遠慮ください。
  • 体調不良の方は入館をご遠慮ください。なお、入館時に体温測定のうえ、入館をお断りする場合がございます。
  • マスクの持参・着用をお願いいたします。
  • 作品、展示ケース、壁などに触れないようにしてください。また手洗いにもご協力をお願いいたします。
  • 館内での会話は最小限にしてください。
  • ご鑑賞の際、他の方と近づきすぎないようご注意ください。
  • 館内の混雑状況によって入館制限を行う場合がございます。
  • 連絡先記入のご協力をお願いしています。密接・密集を避けるため、各自でプリントアウトの上、事前にご記入のうえご持参いただければありがたく存じます。

入館記録および確認書(PDF:95KB)

入館記録および確認書ワード(ワード:19KB)

特別企画展「本多忠勝と桑名」

中世の桑名は本多忠勝の手によって近世城下町へと生まれ変わりますが、これを「慶長の町割」といいます。

その点において、忠勝はいわば桑名の「ファウンディング・ファーザーズ」の一人ともいえる非常に重要な人物です。当館ではこれまで、

  • 平成4年(1992) 本多忠勝展
  • 平成13年(2001) 東海道と桑名の歴史展

と2度に渡り桑名と本多家との関わりを紹介してまいりました。

そこで、2021年が桑名市博物館の前身である桑名市立文化美術館開館から50年という記念の年にあたり、また本多忠勝入封420年という節目の年にあたりますことから、本多忠勝および本多家と桑名との関わりのある資料を一堂に集め、展観を致します。

本展覧会の観覧を通じて、本多家を通じて桑名と岡崎をはじめとする三河地域の歴史的つながりを知っていただくとともに、地域への愛着を育て、文化財保存の重要性への理解を深めていただくことを目的としています。

「本多忠勝と桑名」出品目録(PDF:1,092KB)

'HONDA Tadakatsu & Kuwana' Exhibition list 【English】(PDF:92KB)

  • 主催
    桑名市博物館(巡回はありません)
  • 助成
    • 公益財団法人岡田文化財団
    • 令和3年度地域ゆかりの文化資産を活用した展覧会支援事業
      文化庁日本博
  • 会期
    令和3年(2021)10月23日(土曜日)~11月28日(日曜日) ※32日間 期間中展示替えがございます。
    【前期】10月23日(土曜日)~11月7日(日曜日) 【後期】11月9日(火曜日)~28日(日曜日)
  • 休館日・開館時間・入館料
    休館日:毎週月曜日
    開館時間:午前9時30分から午後5時まで(入館は閉館の30分前)
    入館料:大人[高校生以上]500円 ※20名以上の団体は1人100円引き
    ※障害者手帳掲示の方は本人及び同伴者あわせて2名まで無料
    ※桑名市博物館メールマガジン購読者は携帯画面を見せるか、プリントアウトしたものを見せれば本人及び同伴者合計2名まで100円引き

「刀剣乱舞-ONLINE-」とのコラボレーション企画が実現

刀剣乱舞コラボレーション企画詳細

第1章 徳川四天王・本多忠勝

本多忠勝は、天文18年(1549)三河国に誕生した。本多家は代々松平(徳川)家に仕え、祖父忠豊・父忠高はいずれも戦場で死を遂げている。

忠勝も幼少より徳川家康に仕え、永禄4年(1561)家康の大高城の兵糧入れに従軍し初陣を飾る。忠勝は慶長5年(1600)「天下分け目」の関ヶ原の戦いに至るまで50数度の出陣に一度も戦傷を負わなかったといわれており、井伊直政・榊原康政・酒井忠次と共に「徳川四天王」と呼ばれた。本章では、徳川家のため戦場を駆け巡った戦国武将としての本多忠勝を紹介する。

※展示物のうち、特に注記がないものは通期展示致します。

本多忠勝画像
【桑名市指定文化財】《本多忠勝画像》 立坂神社蔵 通期展示

主な展示作品

《長篠合戦図屏風》長浜城歴史博物館蔵 通期展示
【桑名市指定文化財】《東照神君画像》桑名宗社蔵 通期展示

第2章 統治者の横顔

天正18年(1590)徳川家の関東移封により、本多忠勝は上総国大多喜10万石をあたえられ、大名となる。
慶長5年(1600)関ケ原の戦いでは二男忠朝を従えて戦場を駆けまわり90余の首をとる活躍だったという。この戦功により、翌6年、上総大多喜から伊勢桑名10万石に転封した。
桑名への入部に伴い、忠勝は東城と呼ばれる地を中心に縄張りを行い、近世城郭としての桑名城を建設する。また、「慶長の町割」と呼ばれる大規模な城下町の整備を行い、現在に至る桑名の町並みの基礎がつくられた。現在、九華公園(桑名城址)には本多忠勝像が建てられ、桑名の町を今なお見守っている。
本章では、関ケ原合戦以後の近世領主・桑名の統治者としての本多忠勝を紹介する。
多度大社棟札本多忠勝書状

左:《多度大社棟札》多度大社蔵 右:《本多忠勝書状》早稲田大学図書館蔵 通期展示

主な展示作品

《桑名領在々知行目録》個人蔵 通期展示
初公開《本多忠勝奉行人連署寄進状(小串家文書)》個人蔵 通期展示

第3章 尚武の家風

本多忠勝といえば徳川四天王の一人として知られ、勇猛果敢な戦国武将というイメージを誰もが抱く。それは、甲冑姿の肖像からも容易に想像出来よう。これは、忠勝一人に限ったことではなく、本多家の家風と言えるかも知れない。
忠勝の祖父忠豊は天文14年(1545)の安城合戦で松平広忠(家康の父)の身代わりになって討死。その4年後、父の忠高も合戦で命を落とした。
忠勝自身は数多の戦に赴きながらも傷一つ負わなかったと言われている。しかし、祖父・父・叔父・子と一族の多くが戦場で命を落としており、自分のみが生き残っている事実、あるいは自らも次の戦で命を落とすかもしれぬという中で形作られた、尚武の家風を紹介する。

主な展示作品

重要文化財《刀 金象嵌銘 義弘本阿(花押)/本多美濃守所持(名物 桑名江)》京都国立博物館蔵 前期展示
【行田市指定文化財】《関ヶ原合戦図屏風》行田市郷土博物館蔵 右隻:前期展示 左隻:後期展示
《牛人形鞍》岡崎市蔵 前期展示

第4章 真田家との絆 小松殿と真田信之

本多忠勝は5人の子宝に恵まれた。その長女が小松殿である。母は正室・見星院で、徳川家康の養女となり真田信之に嫁した。小松殿は尊称で、幼名は「子以(ねい)」とも「稲」とも伝わり、判然としない。
さて、小松殿というと知られた逸話がある。慶長5年(1600)、会津の上杉討伐に向かった真田昌幸・信繁(信之の父と弟)は石田三成の挙兵を知り、信之と別れ上田城に戻った。途中、信之の留守の沼田城に立ち寄ろうとしたところ、小松殿が立ちはだかり「我女なれども伊豆守の妻、本多が娘にして公の養女として御娘の一人なり」とよばわり弓矢鉄炮を射掛けたというのである。
武勇に優れた本多忠勝の娘であることから、そうしたイメージが形成されていったのであろう。
本章では、本多家と真田家の交流を紹介する。

真田信之画像

《真田信之画像》長野・大英寺蔵 通期展示

主な展示作品

《短刀 銘 吉光 伝・小松殿所用》真田宝物館蔵 通期展示
《大蓮院画像》長野・大英寺蔵 通期展示

第5章 本多家と千姫

千姫は徳川秀忠を父、浅井長政の娘お江を母として慶長2年(1597)伏見城にて生まれた。翌年、わずか2歳で豊臣秀頼と婚約を結び、婚儀は慶長8年に執り行われた。
それ以後大坂城に住んだ。そして、大坂の陣が起こる。
この後千姫は忠勝の孫・本多忠刻に嫁ぎ、桑名で一時を過した後姫路に移り、一男一女を産んだ。しかし長男は早世し夫忠刻も寛永3年(1626)に死去すると落飾し江戸に戻り竹橋御殿に住んだ。その後は大坂落城を潜り抜けた「戦場帰りの女」且つ将軍家光の姉、そして徳川家最長老として、大きな存在感を示しつつ、寛文6年(1666)70歳で亡くなった。
本章では、本多家と千姫のつながりを紹介する。

千姫奉納羽子板

《千姫奉納羽子板》男山千姫天満宮蔵 通期展示

主な展示作品

重要美術品《刀 無銘 伝兼光(金象嵌)本多平八郎忠為所持之》東建コーポレーション(株) [刀剣ワールド財団]蔵 後期展示
《短冊「豊国大明神」》個人蔵 通期展示

開催のご案内

  • 会期:令和3年(2021)10月23日(土曜日)から11月28日(日曜日)まで
  • 休館日:毎週月曜日
  • 会場:桑名市博物館
  • 開館時間:午前9時30分から午後5時まで(入館は閉館の30分前)
  • 入館料:大人[高校生以上]500円 中学生以下無料
  • 【オトクなメルマガ割引】桑名市博物館メールマガジン購読者は携帯画面を見せるか、プリントアウトしたものを見せれば本人及び同伴者合計2名まで各100円引き

お問い合わせ

市長公室 ブランド推進課(博物館)

電話番号:0594-21-3171

ファックス番号:0594-21-3173

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