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ダイチイン大智院

元禄2年松尾芭蕉が奥の細道の旅を大垣で結んだ後、伊勢神宮の遷宮を参拝の旅につきました。その最初に立ち寄ったのが長島大智院で、芭蕉は挨拶句「うき我をさひしからせよ秋の寺」をしたためました。その直筆の色紙「真蹟懐紙」が残されています。また、芭蕉来訪の100年後に藩主増山正賢(雪斎)は近習などを集めて詩文をつくったり、記念の石碑を建立しました。大智院は、長島藩主・松平定政公の祈願所として建立された寺で、本尊は不動明王です。

基本情報

所在地 桑名市長島町西外面1219番地
電話番号 0594-42-1589
アクセス 近鉄長島駅より徒歩約17分
その他 「蕉翁信宿処」の石碑
長島増山家六代藩主正賢(号雪斉)は松尾芭蕉の「奥の細道」の旅後、
大智院訪問百年を記念して、同寺住職八世覚侑の時、
自筆による「蕉翁信宿処」の碑を寛政元年(西暦1789年)3月3日大智院門前に建立しました。
この頃全国的に芭蕉顕彰が行われ、各地に芭蕉碑の建立がなされているが、
時の藩主が自ら筆をとり顕彰の碑を建立したところに大きな意義があります。
文人藩主らしい堂々とした風格の書体であり、
側近儒官十時梅厓による碑陰の撰文もまた名文で歴史、文学的に評価が高いものです。
三重県内に現存する芭蕉碑(約120基)中11番目に古く大切に保管されてきました。

・芭蕉直筆の色紙「真蹟懐紙」
芭蕉のあいさつの句が「うき我をさひしからせよ秋の寺」
この句は「秋の寺」を「閑古鳥」と推敲され、嵯峨日記に収められています。
大智院には、芭蕉発案の句がそのまま刻まれた句碑があり、俳諧に生きた芭蕉の旅を偲ぶことができます。

・「題蕉翁碑」詩文
芭蕉来訪100年を記念して寛政元年(西暦1789年)3月3日増山雪斎とその側近の5名の儒官、
十時梅厓・十時子順・南湖春鯤・野呂公鱗・南志道と雅会を開き、その折詩文を詠じました。
この自筆による墨書詩文は喪装巻物にされて同寺に所蔵されています。
巻物を納める箱の箱書は次のように書かれています。
表・・・芭蕉翁信宿遺蹟諸家諷詠
裏・・・大正11年冬桑名野生会員再装寄進
著者は野生会代表の天春静堂と思われます。
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掲載日:2022年6月24日