更新日: 2022年10月24日

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諸戸水道の関連遺産

諸戸水道貯水池遺構

貯水遺構

住所:桑名市大字東方字上之超1514

 

概要

貯水池は桑名市東方の丘陵(標高18.7m)の東斜面を削平した平地に東西13.4m、南北約23.2mの矩形で、深さ約3.6m造られました。
貯水池の側壁はコンクリート造、内壁はすべて煉瓦積みとなっています。底面はコンクリート造である。内部は中央の仕切壁で2槽に分けられ、それぞれの槽には煉瓦造の導水壁が2枚、交互に設けられています。
中央部の仕切壁上端には2か所に上屋の礎石が残り、槽内の導水壁の上部には8ヶ所に三角状に煉瓦が積み上げられ、その上に御影石が据えられています。これらは上屋の柱が乗っていた礎石で、柱納穴が穿ってあります。
導水壁は上下2段になっており、下段では煉瓦をイギリス積み、上段は小口積するとともに、東側に補強のための控柱が積まれています。
中央部仕切壁の東端は直径約3.5mの半円筒形となっていて、ここが配水口となっています。また、側壁には給排水のためのバルブや配管(陶管・鉄管)の一部がのこっています。
貯水池の西側壁に接して一辺1mほどの煉瓦造の枡があり、これが2槽への分水枡(接合井)で内部にはバルブなどがのこっています。
なお、貯水池には昭和25年頃までは、高さ約5.7mの木造平屋建瓦葺きの寄棟造の建物がありましたが、現在は残っていません。

諸戸氏庭園

 

 

諸戸氏庭園煉瓦橋

住所:桑名市太一丸18

 

概要

諸戸氏庭園は、諸戸家住宅の邸宅庭園で、江戸時代の庭園をもとにしながら近代桑名の豪商初代諸戸清六が拡張整備を手がけたものです。
この内、邸宅中央部を占める旧山田氏林泉と呼ばれる区域と、これに接する西部の広間(御殿とも呼ばれる)の前に広がる区域が庭園の主要部を形成しています。
邸宅中央部の区域は、『久波奈名所図会(くわなめいしょずえ)』(享保2(1802)年)に山田氏林泉としてみえる近世桑名の豪商山田氏邸宅の主庭であったものを、明治時代に諸戸清六が購入、拡張改修したものです。
御殿苑池にはかつて諸戸水道の水を利用した滝や噴水がありました。
また苑内には水道管を渡すための煉瓦橋(現在非公開)も存在しています。

六華苑

六華苑

住所:桑名市大字桑名663-5

 

概要

鹿鳴館を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計。
四層の塔屋を持つ木造二階建ての洋館と、池泉回遊式庭園を持つ和風建築からなり、大正2年(1913)に完成し、明治・大正期を代表する貴重な文化遺産として国の重要文化財に指定されています。

 

水源井

水源井空白水源井2

住所:桑名市大字矢田字小野山183-1

 

概要

貯水池の東方約80mにあり、貯水池より低い標高に位置しています。
平面形は井戸枠の外形3.1m、円形を呈しています。
上部がモルタル塗、下部が煉瓦積となっており、底部は玉石積み、底板は砂利敷となっています。周囲の地中には貯水池からの流入管と流末方向への流出管が残っています。

 

諸戸水道給水塔

給水塔

住所:桑名市太一丸687-5

 

概要

重要文化財「諸戸家住宅」および名勝「諸戸氏庭園」の西側にあります。
給水塔は煉瓦造で平面八角形の基部と円筒形となっています。直径は3.4m、全高5.0mで頂部は空洞で当初は鉄製の枠に木製の板でふたがされていました。本体の下面にはこれを貫通する3本の鋳鉄管の一部が残っています。施設の用途は貯水槽で邸内への給水と余剰水を公衆に開放するための給水塔であったと考えられています。

 

諸戸水道共用栓をモチーフにした湧水口

 

共用栓

住所:桑名市住吉町~太一丸地区(六華苑南側)

 

概要
国営木曽三川公園桑名七里の渡し公園は諸戸氏庭園、六華苑など桑名を代表する遺産などをつなぐ場所に整備された公園です。
公園内には諸戸水道の共用栓をモチーフにした湧水口が設置されています。
この原型となった共用栓は市で保管されています。

 

諸戸清六顕彰碑(赤須賀石碑)

顕彰碑

住所:桑名市赤須賀1817-1

 

概要

この石碑は大正7年8月に赤須賀村の村民によって初代諸戸清六の功績をたたえるために建設されました。
しかし昭和20年の7月16日の空襲によって被災いし、昭和22年8月に赤須賀地区の住民に再建よってされました。

以下碑文

赤須賀村在桑名旧城之東民戸稠密道路従横自為一市街地瀕海泥砂多而
草樹少故飯水不良亜疫歳行斃者不知其数夫飯水者生命所関不可一日苟
之也然非投巨万之資則不得奏其功是以不能就工者有年矣桑名富者諸戸
清六用心於水事得清源于西邱設水道于桑名町其余沢延及于本村全村始
飽於寒泉時明治三十七年也爾来流疫絶迹村民安堵其於今日之改善蓋与
有力焉諸戸氏没已十余年而其余慶見存又将遠及於後世焉身没而名不朽
真可謂後世富者之軌範矣今茲村民相謀欲建碑記恩以告後嘱余以文余従
事于村校者誼不得録焉乃録其概繁以銘曰
維斯水道流沢所通延長十里溢出城東疫癘斂述和気暢融
闔村千戸永頼厥功
正五位
大正七年八月三重知事長野幹篆額高島量次郎撰龍泉書石市刻
勲四等

(裏面)
昭和廿年七月十六日大東亜戦争
空襲ニヨリ被災銘石碑被損ノ為
茲ニ再建ス
昭和丗二年八月
世話人自治会長後藤新蔵
同永谷長四郎
同大河内義次
同石垣徳平
前建碑者同安田伊三郎
有志村民同永谷榮太郎
賛助員同安田權三郎
村長同水谷善一
村会議員同和藤正恵
村総代同水谷永夫
発起者同水谷清太
説教場世話方同内山壽男

お問い合わせ

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文化振興係

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