更新日: 2022年2月1日
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奈良~平安時代
このころは、中国の制度を手本にしながら新しい政治の仕組み(律令制・りつりょうせい)がととのえられました。土地や人々は国のものとなり、各地方に役所が置かれ、税の制度も統一されました。
桑名では、その当時にもうけられた行政区のなごりが、市内に「桑名」「尾津(おづ)」「野代(のしろ)」「額田(ぬかた)」「久米(くめ)」などの地名となって残っています。
西方廃寺(にしかたはいじ)・七和廃寺(ななわはいじ)・多度神宮寺(たどじんぐうじ)などといった古代寺院が増え、寺院の跡だけでなく、それに付随(ふずい)して天王平遺跡(てんのうびらいせき)などの集落跡(しゅうらくせき)や瓦類を焼いた西方古窯跡(にしかたこようあと)、器類を焼いた七和1号窯跡(ななわいちごうようあと)・七和2号窯跡・七和3号窯跡などが発見されています。
西方古窯跡からは、西方廃寺から発見されたものと同じ瓦が出土したため、西方廃寺に使う瓦を焼いた窯(かま)と考えられています。
柚井遺跡(ゆいいせき)では昭和3(1928)年に水田工事中に、たくさんの木製品・器とともに日本で初めて木簡(もっかん)が発見されました。木製品には斎串(いぐし)※、下駄(げた)などがあり、器には「太冨」「平安」「加福」などの文字を墨で書いたものも多く発見されました。
近くにある多度大社及び多度山と関係するお祭りを行った遺跡だと考えられています。
※「斎串(いぐし)」とは、祭祀(さいじ)を行う時に、神聖な場所を区切るため、地面に刺したとする説があります。
西方廃寺の軒丸瓦1
西方廃寺の軒丸瓦2
西方廃寺の軒平瓦
西方古窯の窯跡
西方古窯の瓦出土状況
七和3号窯から出土した器
柚井遺跡の木簡
柚井遺跡の斎串(いぐし)
柚井遺跡の文字を墨で書いた器
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