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東海道五十三次の中でも重要な宿場町だった桑名宿を「七里の渡し」からスタートし、員弁川に掛かっていた「町屋橋跡」までの旧東海道を、寺院や史跡などを訪ねながら、ぶらりと散策するコースです。

1日目

1

七里の渡し跡

6分

2

桑名宗社(春日神社)と青銅の鳥居

3分

3

片町(桑名城石垣)

3分

4

石取会館

7分

5

吉津屋見附(よつやみつけ)跡

3分

6

十念寺

3分

7

長圓寺

21分

8

城南神社

5分

9

晴雲寺

6分

10

安永立場跡(伊勢両宮常夜燈)

2日目

スタート(七里の渡し跡)

1

七里の渡し跡

七里の渡し跡

尾張熱田の宮宿より海路七里(約28km)あったことから「七里の渡し」と呼ばれました。宮の渡しからの所要時間は天候や潮の干満により異なりますが、おおよそ3~6時間でした。ここは伊勢路の東の玄関口で、江戸中期に「伊勢国一の鳥居」が建てられました。この鳥居は式年遷宮ごとに内宮宇治橋入口の鳥居が下賜され、建替えられています。

桑名・歴史道

本陣・脇本陣跡

桑名宿には本陣2軒と脇本陣4軒があり、現在の船津屋がある所に「大塚本陣」があり、東隣に脇本陣「駿河屋」がありました。「大塚本陣」には「御座船」が着岸する事ができ、大名は直接船から本陣に出入りすることが可能でした。十万石以上の大名が出船するときは御舟唄役が出し唄(舟唄)を歌い盛大に見送りました。

本陣・脇本陣跡

桑名・歴史道

通り井跡

「町屋御用水」は寛永3年(1626)に敷設されました。町屋川から吉津屋見附までは開渠(かいきょ)、見附からは地中に樋管を通した暗渠(あんきょ)で造られた用水路です。通り道に設けられた水を汲み上げる為の井戸を「通り井」と言います。文政3年(1820)頃には町内に17ヶ所ありました。発見された場所には「井」の標識が埋められています。

通り井跡

徒歩 6分

2

桑名宗社(春日神社)と青銅の鳥居

桑名宗社(春日神社)

正式には桑名宗社といい、桑名神社(繁栄の神様)と中臣神社(厄除けの神様)の2社から成ります。市民には「春日さん」と呼ばれて親しまれており、石取祭はこの神社のお祭りです。楼門は平成7年(1995)に再建されました。「青銅の鳥居」は寛文7年(1667)に藩主松平定重の命により鋳物師辻内種次が製作した東海道随一の青銅の鳥居です。(県文)

桑名・歴史道

しるべ石

桑名宗社の青銅鳥居の脇に立っていて、正面に「志るべい志」、左面に「たづぬるかた」、右面に「おしゆるかた」と刻まれていて、行方の分からない方を探すための伝言板の役割を果たしていました。人々が多く集まる寺社の近くなどに建てられていましたが、現存するものは全国でも珍しいものとなっています。

しるべ石

おすすめグルメ

とらや

桑名宗社門前にある1704年(宝永元年)創業の老舗和菓子店です。なかでも薄皮で中に小豆のこし餡が入っている「とらや饅頭」は、江戸時代から桑名宿の名物として武士や町人に親しまれてきました。現在でも、もち米と麹で発酵させた酒素を小麦粉と混ぜて発酵させて生地を作り、その生地を薄皮にしてこし餡を包んで蒸すといった伝統的な製法で作られています。

とらや饅頭

徒歩 3分

3

片町(桑名城石垣)

片町(桑名城石垣)

東側は桑名城の掘割です。川口樋門から500m続く石垣は、桑名城曲輪を囲む城壁として往時を偲ぶ事が出来る唯一の遺構(市文)です。西側は江戸時代桑名の台所として栄えた片町河岸です。平成3年(1991)堀の一部が埋め立てられて、東海道を模した「歴史を語る公園」が作られました。南端に南大手橋が架かっています。

立ち寄りスポット

歴史を語る公園

桑名は東海道中第2位の宿数を誇り、一の鳥居を擁する伊勢路の玄関口として賑わっていました。このような史実に着目し、江戸の日本橋から京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られたのがこの公園です。道中をイメージした道標や案内板などが設置されています。

歴史を語る公園

徒歩 3分

4

石取会館

石取会館

天下の奇祭と呼ばれる桑名の石取祭を紹介する展示館です。石取祭は毎年夏に行われる祭りで、鉦(かね)と太鼓で日本一やかましい祭りといわれています。会館内には祭車が展示され、祭りの様子はビデオで楽しむ事が出来ます。石取祭は平成19年に国指定重要無形民俗文化財、平成28年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

立ち寄りスポット

桑名市博物館

旧百五銀行桑名支店を買収し、昭和46年(1971)県下初の美術館「桑名市立文化美術館として発足。その後増改築され、昭和60年(1985)県下初の市立博物館としてオープンしました。桑名藩と萬古焼、刀剣などの収蔵物が充実しています。年間を通じて様々な企画展示も行っています。

桑名市博物館

桑名・歴史道

京町見附(きょうまちみつけ)跡

江戸時代、ここは東海道の往還で、この付近一帯には「京町門」と「番所」があり、足軽が常勤して警護にあたっていました。このように、櫓があり番兵を置いた門を「見附」と呼び、桑名には京町門の他3ヶ所の見附がありました。門は枡形で、京橋はありませんでしたので、門を出ると堀で行き止まり、コの字形に曲がり吉津屋通りへ出ました。

京町見附跡

徒歩 7分

5

吉津屋見附(よつやみつけ)跡

吉津屋見附跡

江戸時代、この辺りには鍛冶屋が多く、吉津屋町から鍛冶町として独立したので、「鍛治町御門」とも呼ばれました。見附は旅人に門と番所の前を通らせて監視するため、その多くが桝形道路になっていました。東海道筋にある3か所の見附跡の内、唯一枡形道路が現存しています。石取祭の祭車はここを通ります。

おすすめグルメ

貝増商店本店

明治時代末期に創業した「しぐれ蛤」の老舗です。桑名名物「しぐれ蛤」は、蛤を醤油などで煮しめたもので、初めは「煮蛤」と呼ばれていました。江戸時代中期に、芭蕉の門人・各務支考(かがみしこう)が「一番おいしい季節がしぐれの降る頃」ということで「しぐれ蛤」と命名しました。

貝増商店本店

桑名・歴史道

光徳寺

鎌倉時代に泡州崎念仏道場として創建され、天文2年(1533)知恩院の徳誉光念上人が荒廃していた道場を再建して「光徳寺」と名付けたと言われています。明治7年(1874)には、日進小学校の前身「進善学校」がこの寺で始まりました。また桑名船馬町の商人で、萬古焼の創始者である沼波弄山(ぬまなみろうざん)の墓があります。(市文)

光徳寺

徒歩 3分

6

十念寺

十念寺

慶長の町割りの際、桑名城付近から現在地に移転しました。墓地には森陳明(つらあき)の分骨墓(市文)と辞世の歌碑があります。陳明は戊辰戦争の時、18代藩主松平定敬(さだあき)に従って五稜郭まで戦い降伏、戦後桑名藩の全責任を一身に負い処刑されました。寺宝の「祭礼図屏風」、「当麻曼陀羅図」はいずれも県指定文化財です。

桑名・歴史道

寿量寺

初めは一色町にあり、天台宗「妙蓮寺」といいましたが、法華宗に改宗し、寺の名称も改めました。慶長の町割りの時現在地へ移転しました。寺宝には「銅馨(市文)」「日蓮上人御本尊(市文)」などがあります。旧大黒殿と鐘楼は平成25年(2013)に国登録有形文化財となりました。

寿量寺

桑名・歴史道

七曲見附(ななまがりみつけ)跡

門と番所があった見附で、七里の渡し口から東海道を7つ曲った所という意味で「七曲(ななまがり)」とよばれていました。

七曲見附跡

徒歩 3分

7

長圓寺

長圓寺

もとは真言宗で江場にありましたが、慶長の町割りで現在地に移りました。十一世住職の魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)は寛政9年(1797)に1枚の紙で連続した鶴を折る秘伝「千羽鶴折形」や翌寛政10年に「桑府名勝志」(市文)、享和2年(1802)に「久波奈名所図会」などの地誌を著しました。(市文)

桑名・歴史道

天武天皇社

壬申の乱(672年)の折、大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名郡家に駐泊されたという故事に基づいて建立された社です。元は新屋敷付近にありましたが、慶長の町割りで当地に移りました。天武天皇を祭神とする社です。社宝の刀は松平定信の抱工であった固山備前介藤原宗次(むねつぐ)の作品で市指定文化財となっています。

天武天皇社

桑名・歴史道

矢田立場跡

立場とは、街道筋で旅人や駕籠かき、人足などが休憩した場所のことで、そのための茶屋が軒を連ねていました。この付近は戦災を免れたので、昔の面影が残っています。善西寺の隣にある竹内家は幾度か建て替えられていますが、連子格子の下に馬繋ぎの鉄環を見る事が出来ます。街道が南に曲がるところには、火の見櫓が復元されています。

矢田立場跡

徒歩 21分

8

城南神社

城南神社

城南地区の総鎮守です。古くは神明宮と称されていましたが、明治41年(1908)に旧城南村の神社を合祀して城南神社に改称しました。その後合祀された各社は昭和30年(1955)に旧社地に分祀されています。倭姫命が巡幸の時に立ち寄られたとの伝承があり、式年遷宮の際、内宮の一の鳥居が下賜され御木曳きが行われています。

桑名・歴史道

了順寺

戦国時代の桑部城主毛利秀重の孫秀元が出家して創建した浄土真宗本願寺派の寺院です。山門は桑名城の城門を移築したものと伝えられています。

了順寺山門

徒歩 5分

9

晴雲寺

晴雲寺

大永2年(1522)東城の城主伊藤武佐衛門の一族の明西が一族の菩提を弔うために建てた寺です。江戸へ下る諸大名はこの寺に立ち寄って衣服を改め、桑名城下に入ったといわれています。江戸時代の住職が使った駕籠が保存されています。慶応4年(1868)赤報隊の一部滋野井隊がこの寺に宿泊し「偽勅使」として捕縛されました。

徒歩 6分

10

安永立場跡(伊勢両宮常夜燈)

安永立場跡(伊勢両宮常夜燈)

東海道筋であるとともに町屋川水運の拠点(船着き場)でもあったので、茶屋が軒を連ねて賑わっていました。現在でも茶屋の名残の料亭があり、藤の花の名所となっています。街道筋には文政元年(1818)建立の「伊勢両宮常夜燈」があり、側には明治に建てられた里程標もあります。

おすすめグルメ

安永餅

桑名宿・安永の地で、疲れた旅人に消化が良く直ぐに力になる食べ物をと茶店で提供されていたのが桑名名物「安永餅」です。その形から「牛の舌もち」とも称されていました。現在店舗は桑名駅周辺に移転しましたが、当時の技法を守り国産の餅米、小豆を使用し添加物は一切使用していません。

安永餅

ゴール(町屋橋跡)

モデルコース

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掲載日:2023年10月4日

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