更新日: 2022年2月1日

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鎌倉時代~室町時代

鎌倉時代(かまくらじだい)から室町時代(むろまちじだい)を中世といい12世紀末から16世紀末までをいいます。
この時代は、貴族(きぞく)の力が弱くなり、武士(ぶし)が力を持ち、鎌倉(約140年間)や室町(約240年間)に政治の中心が移行しました。
このころの桑名は、員弁川(町屋川)や揖斐川・長良川・木曽川の河口部に位置する交通の要衝(ようしょう)として栄え、室町時代には、財力を持った商人たちが自治を行い「十楽(じゅうらく)の津」と呼ばれる自由に商売ができる自由湊(じゆうみなと)を運営していたようです。

篠原遺跡(しのはらいせき)や西谷遺跡(にしたにいせき)・ハサマ遺跡・西金井遺跡(にしかないいせき)・山王遺跡(さんのういせき)・宮地中世墓群(みやじちゅうせいぼぐん)や愛宕中世墓群(あたごちゅうせいぼぐん)など、数多くの中世集落跡や墓の跡も確認されています。篠原遺跡やハサマ遺跡は、集落の一部と思われる柱穴や井戸等の遺構(いこう)が確認されました。
このころになると土豪(どごう:地域の豪族)により桑部城(くわべじょう)・愛宕山城(あたごやまじょう)・柚井城(ゆいじょう)など、多くの城が建設されています。その中でも桑部城は文献(ぶんけん)も残り、発掘調査で遺構(いこう)も確認された、たいへん貴重な城跡(じょうせき)です。町屋川の南岸の見晴らしのいい高台に立っており、木曽川の河口部や尾張方面を一度に見渡すことができます。

遺物はすり鉢(ばち)や土鍋(どなべ)といった日常生活のためのもののほかに、抹茶を飲むための天目茶碗(てんもくぢゃわん)や花瓶(けびょう)などが出土しています。


篠原遺跡の全景


篠原遺跡の調査風景


篠原遺跡の柱穴


篠原遺跡の井戸


ハサマ遺跡の全景


ハサマ遺跡の井戸


ハサマ遺跡から出土した山茶碗


宮地中世墓群の石室


愛宕中世墓群出土の骨壷

 

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