更新日: 2022年2月1日
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伊勢大橋と桑名水郷花火大会
桑名水郷花火大会(くわなすいごうはなびたいかい)は、1934(昭和9)年の伊勢大橋開通を記念して開催されたのが始まりとされ、戦時中一時中断された時期がありました。長い歴史をもつ花火大会です。
花火の始まりは、中国で発明された「狼煙(のろし)」といわれています。
14世紀後半には、イタリアの都市フィレンツェの鑑賞用花火が大航海時代の訪れとともに世界中に伝わったそうです。1613(慶長18)年には、イギリス国王の使者が駿府城に徳川家康に花火を持参したという記録があります。最近になって、その十数年前に伊達政宗(だてまさむね)が見たという古文書も見つかっているそうです。江戸時代、8代将軍吉宗の頃、飢饉(ききん)とコレラの大流行(だいりゅうこう)による死者の霊をなだめる供養と厄災除去祈願として、両国の花火が催されました。
伊勢大橋の開通は、尾張大橋と合わせ愛知県と三重県を道でつなぎ、物流の起点や緊急輸送・車両の行き来として大きな役割が期待されました。また、開通に伴い、絵葉書や関連物が作られました。当時の新聞には、「揖斐川に人道橋完成、夕涼みや雪見などの大勢の人が訪れる」とあります。
1945(昭和20)年、アメリカ軍の攻撃目標にされましたが、誤爆によって破壊を免れました。現在も数か所に機銃掃射(きじゅうそうしゃ)の弾痕(だんこん)が見られます。長島側下流の鉄柱に穴が2か所、折れ曲がった平鉄が一か所見られます。これは、1945(昭和20)年7月30日にアメリカ軍の艦載機(かんさいき)による機銃掃射(きじゅうそうしゃ)を受けた弾痕(だんこん)です。
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