更新日: 2022年2月1日

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桑名の鋳物

桑名の鋳物

本多忠勝が「慶長の町割り」で鋳物師(いもじ)を桑名に招き入れ、鋳物産業が盛んになりました。その時、招かれたのが、鋳物師の廣瀬家で、鉄砲の鋳造(ちゅうぞう)に従事しました。

祖先は、河内国(かわちのくに)にやってきた渡来人といわれており、中世の頃、廣瀬家が楠木正成に寄進した作品について送られた感謝状を受け取っており、畿内(きない)周辺ではすでにこの頃、産業として注目を浴びていることがわかります。

廣瀬家では、各地の寺社の鐘を多く造っています。そのうち現存する最古の鐘は、仏眼院(ぶつげんいん・南魚町)にある「喚鐘(かんしょう)」です。

鋳物場跡は、現在の鍋屋町として町名のもとになっているといわれています。

江戸時代、桑名藩の奨励・保護によって、桑名には多くの鋳物師が集まり、神社仏閣(じんじゃぶっかく)の灯籠(とうとう)・梵鐘(ぼんしょう)や日用品にいたるまで、様々なものが作られました。

辻内家も有名な鋳物師の一派で揖斐川右岸に住み、その付近は鍋屋堤と呼ばれました。1667(寛文7)年、辻内善右衛門尉(つじうちぜんえものじょう) 藤原種次(ふじわらたねつぐ)が春日神社の青銅鳥居を造りました。

大きく立派だったことから、旅人の目をひき、「勢州桑名に過ぎたるものは銅の鳥居に 二朱の女郎」と言われていました。この鳥居は戦災や伊勢湾台風などで倒壊しましたが、そのたびに辻内家によって修復されています。

多度大社の別宮一目連神社には、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が、また桑名市西鍋屋町(旧東海道)にも同名の一目連神社があり、製鉄・鍛冶(かじ)の神として祀(まつ)られています。

終戦から5年後に起こった朝鮮戦争1950(昭和25)年をきっかけに特需の恩恵も受け、鋳物製品の他、紡績製品、機械部品、精密機器など工業界全体が活発な生産活動を呈し、ものづくりの基盤となる多くの産業が成長し今日に至ります。

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