更新日: 2022年2月1日

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諸戸 清六

諸戸清六

諸戸清六(もろとせいろく)は、桑名郡木曾岬(きそさき)の加路戸大新田の諸戸家に長男として生まれました。諸戸家は、代々庄屋を勤める家柄でしたが、清六の父・清九郎が事業に失敗したことで、莫大(ばくだい)な負債(ふさい)を背負うことになります。

清六は18歳で諸戸家を継ぎましたが、この時受け継いだものといえば布団・衣類・道具と約20石積の船1隻、そして1,000両を超える莫大な借金であったといわれています。しかし、清六は、米の仲買いを行いながら、わずか2年ですべての借金を返済すると、商売の基礎を着実に固めていきました。

一方、桑名では、明治時代に入り、市街地の人口増加から衛生状態が悪化し、飲料水を起因とした伝染病(でんせんびょう)が流行(りゅうこう)していました。このような背景から、当時の桑名の人々にとって、上水道の建設は悲願(ひがん)となっていました。

1895(明治28)年、桑名町は上水道の計画を行いますが、経費がかかりすぎることから断念します。そこで、清六は、独力で上水道を造ることを計画し、1901(明治34)年に自家用水道を完成させました。さらに、1904(明治37)年には、桑名市内に共用栓55ヶ所、消火栓24ヶ所を設置し、無償で市民に提供しました。

完成した諸戸水道は、当時の桑名町の西側および赤須賀村を中心に敷設され、町屋御用水(まちやごようすい)が敷設されていなかった地域を中心に敷設されていることから、清六は町屋御用水さえ利用できない、本当に困っていた人々に優先して水道を供給したのではないかと考えられます。これらの偉業から赤須賀神明社には、赤須賀村の人々から清六への感謝の碑が建立されています。

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