更新日: 2022年2月1日

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六華苑

六華苑

六華苑は2代目諸戸清六(もろとせいろく)の自宅として1911(明治44)年に着工し、1913(大正2)年に完成しました。洋館はイギリス人建築士ジョサイア・コンドルによって設計されました。

コンドルは明治政府に工部大学校(現東京大学工学部)教授として招かれ、イギリスから来日しました。コンドルは日本に初めて本格的な西洋の建築学をもたらし、多くの日本人建築家を育てました。六華苑の設計は、三菱財閥(みつびしざいばつ)の創業者岩崎弥太郎(いわさきやたろう)を通じてコンドルに設計依頼がされたそうです。コンドルは、他にも上野博物館や鹿鳴館(ろくめいかん)、ニコライ堂、明治時代の政府高官や財閥(ざいばつ)の邸宅も設計しました。

和館は日本人工匠棟梁の伊藤末次郎により建てられました。当時、洋館と和館は別棟で建てることが主流でしたが、六華苑はつないで建てられ、中で行き来できるようになっています。洋館と和館のつなぎ目の裏には、コンドルと伊藤末次郎、両者の技術と清六の思いがつまっていると言えます。

六華苑の洋館の特徴として、4層の塔とベランダ、サンルームがあり、建築士コンドルのこだわりがあらわれています。

4層の塔はもともと3層の予定でしたが、その高さでは揖斐川を見渡すことができず、4層に変更したとのことです。創建当時、清六は客を4層部分まで案内し、眺めを楽しんだそうです。

もう一つの特徴として、庭園に面して1階にベランダ、2階にガラス張りのサンルームがあります。庭園から見る洋館は華やかさがあり、また、2階から見る四季折々の庭園の眺(なが)めは素晴らしく、見る人を楽しませました。1997(平成9)年に洋館・和館が国の重要文化財に指定されています。

さらに、六華苑の特徴として、池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園があります。庭園は邸宅の南側にあり、芝生広場(しばふひろば)と池泉式日本庭園から構成されていて、邸宅の築造と同時期に造園されました。昭和初期には茶道家元松尾宗吾(まつおそうご)を招き、大改築も行われました。また、創建当時はバラの円形花壇がありましたが、改築とともに撤去されました。改築や戦災で変化した部分もありますが、全体的には創建当時の姿を残しており、風情のある景観で国指定の名勝になっています。

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