更新日: 2022年2月1日

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歌行燈

歌行燈句碑

泉鏡花(いずみきょうか)は、1873(明治6)年、金沢で泉家の長男として生まれました。本名を鏡太郎といいます。9歳のときに母親 鈴(享年28歳)を病気で亡くし、18歳で尾崎紅葉の門弟(もんてい)として入門を許されています。

翌年には、文壇(ぶんだん)デビューを果たし、大正・昭和にかけて多くの作品を生み出しました。そのひとつに『歌行燈(うたあんどん)』があります。

1910(明治43)年、泉鏡花が37歳の時に桑名を舞台にした『歌行燈』を発表をします。「宮重大根のふとしく立てし宮柱は…」は、『東海道中膝栗毛』の一説をもちいた冒頭で、桑名駅に弥次郎兵衛が到着したところから始まります。泉鏡花が員弁(いなべ)での講演を控え、桑名で前泊したときの記憶が作品へとつながっていると言われています。作品に登場する「湊屋(=現在の船津屋)」「志満や(=現在の歌行燈)」というように桑名に、なじみのあるお店が小説に登場します。

さらに、歴史を掘り下げていくと、江戸時代、現在の船津屋(ふなつや)は、「大塚本陣」として、その隣にある山月は、「駿河屋(脇本陣)」というように大名・武士の宿泊施設として格式の高い場所として有名でした。船津屋の正面左に写真で見られる自然石が置かれ、そこには、俳人でもある劇作家久保田万太郎の俳句「かはをそに 火ぬすまわて あけやすき」が刻まれています。

久保田は、1939(昭和14)年、東宝映画の依頼で戯曲『歌行燈』を船津屋に宿泊し書き上げています。また、船津屋の主人の求めに応じて情景を句として詠(よ)み、それが句碑(くひ)となっています。

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