更新日: 2022年2月1日
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千姫
千姫(徳川家康の孫)は、2代目将軍 徳川秀忠(ひでただ)と江(ごう)の長女に生まれ、7歳で豊臣秀頼と政略(せいりゃく)のため結婚させられ、大坂城で暮らしていました。その後、大坂夏の陣(じん)による大坂落城の時、千姫は助け出され、江戸へ帰る途中に桑名に立ち寄りました。
当時、桑名藩は本多忠勝の息子、本多忠政(ただまさ)が2代目藩主でした。忠政の妻・熊姫(ゆうひめ)と千姫がいとこであったことから歓迎され、桑名で数日を過ごしました。その後、江戸にもどるため七里の渡しから熱田へ向かいました。
この時、船の指揮をとったのは忠政の長男、本多忠刻(ただとき)でした。忠刻は非常に美男で、すばらしい剣士でもあったため、千姫は忠刻に恋をしたと伝えられています。
江戸に戻った千姫は、「桑名の忠刻と結婚したい」と祖父の徳川家康に訴え、桑名に嫁ぐことになりました。その後、千姫と忠刻は本多家が姫路へ移るまでの十か月間、桑名で新婚生活をおくりました。
桑名にいる間に千姫は、桑名東照宮(くわなとうしょうぐん)を建立(こんりゅう)し、徳川家康の木像を桑名宗社(春日神社)に奉納しています。
桑名宗社には、子宝(こだから)にめぐまれる奇石「陽石」、ハートのついた石灯篭などがあり、千姫にあやかり出会いを求める人々が訪れています。そして、神社前には桑名のシンボルとも言える青銅の鳥居と探し人にめぐりあえる「しるべ石」があります。
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